KUMOism

推薦と自己選択の二面性 ── まとめ篇

違いは自分の希望や目的を強く持つか持たないか。買い物・投票・結婚から国家・企業まで、選択を巡る 4 つの問い(希望の強さ・場面の広がり・希望の出どころ・常識を疑う限界)を整理する最終回。

背景篇メリット篇デメリット篇 と読み進めていただいた最終回です。最後に、推薦と自己選択の中間、そしてその限界についてまとめます。

違いは「自分の希望や目的を強く持つか持たないか」

背景篇 で示した 2 つの道は、二者択一ではありません。実際には、扱う対象や場面ごとに 濃淡 があります。

簡単に言えば、こうです。

つまり 違いは、自分の希望や目的をどれくらい強く持っているか にあります。希望が薄い領域は推薦に任せ、希望が濃い領域だけ自己選択を貫く ── これがほとんどの人にとって現実的な落としどころとされます。

他の場面でも同じように考えることができる

スマートフォンの購入に限らず、人は自分や他人を幸せにするために、さまざまな場面で選択します。

悩んで選択する時もあれば、無意識的に選択する時もあるでしょう。この世に生まれて最初にいろんなものをあなたに紹介するのは「親」 なので、気づいたら親の考え方で選択していることも多いとされます。

さらに「他人」の概念を拡大すれば、教会・村・国家・大企業にも同じことが言えます。あなたの選択基準は、どこまでが「あなたの」もので、どこからが「外から来たもの」なのか ── この境界線は、ふだん意識しないだけで、思っているより曖昧です。

自分の希望は、本当に「自分の」希望なのか

メリット篇で紹介したように、人間の選択は意外と非合理的 で、デフォルト・対比・繰り返しによって動かされる余地があります。あなたが「自分で選んだ」と感じているその希望すら、過去の他人の影響を受けている可能性が高いとされます。

あなたにとっての幸せは、本当にあなたにとっての幸せでしょうか。

この問いは、推薦と自己選択のどちらに偏っていても逃げきれません。推薦に乗っていれば「紹介してくれた人にとっての幸せ」を生きているかもしれませんし、自己選択を貫いていても「過去の自分を作った他人にとっての幸せ」を生きているかもしれません。

補足 ── 連載で扱いきれなかった 3 つの論点

1. 常識を疑うことが、本当に正しいのか

「常識を疑え」とよく言われます。今回の文脈で言えば、常識とは「他人からのお勧め」の積み重ね です。

確かに、変わらない考え方のせいで起きている問題を解くには、その考え方を疑うことが必要なときもあります。しかし、変わらない考え方にも 良いものと悪いものがあります。「自分の幸せとは何か、これでいいのか」と疑いすぎてしまうと、簡単に幸せになれない人もいるかもしれません。

懐疑は道具であって、目的ではないということです。

2. 選択基準の設定の難しさ

そもそも、幸せとは何を指すのか。お金持ちのことなのか、長く生きることなのか、好きなことを好きなだけやっていることなのか、発展途上国でボランティアをすることなのか。

その幸せの基準を設定すること自体が、個人にとっても社会にとっても、最も難しく、最も大事な作業とされます。基準が決まらないまま、推薦と自己選択の 方法論 だけを議論しても、議論は空回りします。

3. 人間は合理的であるべきか

西洋の近代的な考え方は「合理的に考える個人」から来ています。つまり「多くの選択肢の中から自分でベストを導きだすべき」── 連載で言う 自己選択派の哲学的バージョン です。

これによって「自分で何でも選択して良い=自由」と引き換えに、「自分の行動の結果を自分でかぶる=自己責任」という考え方が生まれました。

しかし近年、実際の人間の意思決定は とても非合理的 だと、さまざまな実験で分かってきています。合理的個人を前提にした制度は、本当に人間の幸せに合っているのか ── これも 1 つの大きな問いです。

最後の問い

あなたの好きなものは、本当にあなたの好きなものですか。

それとも、家族・友人・広告・国家・宗教・市場 ── 誰かに紹介された結果として、いつの間にか「あなたの好きなもの」になったものですか。

「推薦を全部受け入れる/自己選択を貫く」の二択を急ぐ前に、自分の希望ごとに濃淡をつける こと、そして その希望自体がどこから来たかを一度だけ点検する こと ── そのこと自体が、kumoism がこの連載でやりたかったことです。


連載をはじめから:

→ 1/4 背景篇 → 2/4 メリット篇 ── 推薦を受け入れることで開ける世界 → 3/4 デメリット篇 ── 自己選択を貫く世界