アート批評の二面性 ── メリット篇
アート作品は駄菓子のように消費されている。作家の批評意図は読み解かれず、記号としてだけ流通している ── そう考える賛成派の論理を、美術館来場データと名作の例で描く。
連載 2/4。1/4 背景篇 の続きです。
「作家の批評意図は十分に伝わっていない。受け手はもっと作品の意図と対話すべきだ」── この前提から見ると、現状の アート批評 には深刻な問題があります。
簡単に言えば、作家がいくら社会の問題を批評するために制作しても、その意図は届かず、作品は 駄菓子のように消費されてしまう。アーティストにとっての「意味」が消え、作品はただの「記号」になっていく ── これが賛成派の出発点です。
受け手は「得たいもの」を得たいだけ
アートを見る側にとっては、見る側が得たいものを得れればそれで良い と考える人が多いとされます。投資家のなかには、作品の内容そのものよりも、その制作された物体自体が高い価格になればよいと考える人もいるでしょう。
そうなったとき、作家がいくら批評するために制作したところで、その意図は伝わりません。アーティストにとっての「意味」が消えてしまい、もはやその制作物は「記号」になってしまう のです。

出典: 美術館・美術展に関する調査。1 年に 1 回以上、美術館・美術展に行く人は 32%。
実際、美術館・美術展に 1 年に 1 回以上行く人は 32% にとどまるとされます。しかも来場の動機は「作品から影響を受けてアイデアを得たい」よりも、気分転換や、たまたま招待券が手に入ったから、というケースが多いと考えられます。
つまり、作品との出会いの多くは 批評を読み解く文脈 の外側で起きているのです。
「東北大震災を忘れさせないために」── 例え話
例えば、アーティストが「東北大震災を忘れさせないために」と願い、「可愛い女の子」を主人公にした映画作品を作ったとします。
作家が願うのは、震災を考える人が増え、結果としてボランティアや募金が引き続き行なわれることです。しかし多くの場合、主人公である可愛い女の子が主な鑑賞目的になります。そして「東北大震災のことについて考えさせられる」という感想を周りに言うことで、頭がよさそうに見せるための道具として使われるでしょう。
深く考えるわけでもなく、考えた結果なにかの行動に結びつくわけでもない ── これが、賛成派が告発する 記号的消費 の典型です。
名作の「制作者の意図」を、どれだけの人が知っているのか
加えて、以下の作品について 制作者の意図を知っている人がどれぐらいいる のでしょうか。知らずに美術館の展示会で「良かった!」と言っているなら、それは自分自身の気持ちよさだけが元になっており、アーティストの意図は無視されていることになります。

出典: パブロ・ピカソ「ゲルニカ」
スペイン内戦下のゲルニカ空爆を批評した作品。戦争による民衆の苦しみ を直視させるための絵だとされますが、観光地で「キュビスムの傑作」としてのみ消費される側面もあります。

出典: サルバドール・ダリ「ヒトラーの謎」
独裁者の不気味さと、それを許した時代の空気を批評した作品。

出典: マルセル・デュシャン「泉」
既製品の便器に署名しただけの「泉」は、「アートとは何か」を決めるのは誰か を批評しています。しかし美術史の文脈なしには、ただの便器にしか見えません。

出典: アンディ・ウォーホル「マリリン・モンロー」
大衆消費社会とイメージの大量複製を批評したシリーズ。今では デザイン素材として 流通しています。

出典: ルネ・マグリット「大家族」
私たちが「現実」と呼ぶものの 認識の限界 を問う作品。
賛成派のまとめ ── 「意図」を取り戻せ
作家が込めた 批評の意図 を取り戻し、受け手が作品と対話するなら、アート批評は社会に対して本来の役割を果たし得ます。
- 名作を「美しいから」だけで消費せず、何を批評しているか を読む
- 美術館に行く動機を、気分転換から 思考の機会 へと寄せる
- 投資対象としての価格よりも、作品が指している外側の現実 を語る
- 受け手の側の 読み解きのリテラシー を育てる
ただしこれは、「批評は伝わるべきものであり、受け手にも読み解く責任がある」という前提があってこその話です。逆に 批評が伝わりすぎたとき、何が起こるか ──。
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