児童虐待の二面性 ── まとめ篇
加害者を罰するか、親に寄り添うかではない第3の道。虐待した親を責めても解決しないこと、虐待を受けた子どもも幸せになり得ること ── 2つの視点を行き来して最終回。
背景篇、メリット篇、デメリット篇 と読み進めていただいた最終回です。最後に、子ども側と親側の中間、そしてその先に残る重要なポイントについてまとめます。
第 3 の道 ── 加害者を罰すると同時に、追い詰められた親に手を入れる
背景篇 で示した二面性の問いはこうでした。
児童虐待は「悪い親」がいるから起きるのか。それとも、誰でも追い詰められれば陥り得る状態なのか。
メリット篇は前者の立場から、デメリット篇は後者の立場から書きました。第 3 の道は、この どちらか片方では足りない と認める道です。
簡単に言えば、目の前で起きている虐待には介入し、子どもを守る こと(メリット篇の側)と、虐待に陥る一歩手前の親に手を差し伸べる こと(デメリット篇の側)を、両方とも社会の仕事として持つ道です。
いきなりすべての虐待が無くなったり、すべての親が完璧に支援されたりするというのは極端な話です。あくまでそういう方向性だということですが、虐待には 介入で止められるフェーズ と 予防で防げるフェーズ の両方があり、社会は両方に対して備える必要があります。
最後に重要な 2 つのポイント
連載の最後に、出典のドキュメントが明確に強調していた 2 つのポイント を、そのまま残しておきます。
1. 虐待をした親を責めても解決しない
どんなに悲惨で酷い虐待事件を起こした親を非難しても、虐待を受けた子どもは虐待を忘れることはありません し、亡くなってしまった子どもの命も戻ってきません。
大切なのは、身近にいる母親や父親が 子育てしやすいように周りの人で助けてあげる ことです。どんな犯罪加害者も「絶対的な悪魔」ではなく、同じ人間です。
ここで言いたいのは「加害者を許せ」ではありません。加害者を罰することと、次の加害者を生まない社会を作ることは、別の仕事である ということです。後者をやらないと、前者だけでは虐待は減りません。
2. 虐待を受けた子どもも幸せになることができる
自己肯定感が低かったり、知力が弱かったりしても、一生が不幸というわけではありません。過去に虐待を受けた事実は変わりませんが、将来どんな人間になるかはいくらでも変えることができます。
まずは 自分自身が幸せになりたいかどうか。この問いに「なりたい」と答えられた瞬間から、回復の道は開きます。社会の側は、その答えにたどり着くまでの間、本人を支える側として動けば良い ── これが、連載を通して見えてくる結論のひとつです。
個人の判断はシンプルになる
「児童虐待」というテーマに、個人として向き合うときの判断はとてもシンプルです。
- 目の前の子どもが危ない と感じたら、迷わず通報する(子ども側の論理)
- 目の前の親が追い詰められている と感じたら、責める前にひとつ手を貸す(親側の論理)
この 2 つは、矛盾しません。どちらか一方だけを選ぶ必要もありません。矛盾する 2 つの行動を、同じ自分が状況に応じて取れる ── それが、児童虐待の二面性を行き来できる人の姿だと思います。
最後の問い
児童虐待は「悪い親」がいるから起きるのか。それとも、誰でも追い詰められれば陥り得る状態なのか。あなたはどちらの前提に立ちますか。そしてその前提が崩れたとき、何を選び直しますか。
「加害者を厳罰化する/親の事情を酌む」の二択を急ぐ前に、まずこの二面性を行き来してみる ── そのこと自体が、kumoism がこの連載でやりたかったことです。
参考資料
- 厚生労働省「子ども虐待対応の手引き 第 2 章 発生予防」(日本語)
- Child Welfare Information Gateway, Factors That Contribute to Child Abuse and Neglect(English)
連載をはじめから:
→ 1/4 背景篇 → 2/4 メリット篇 ── 虐待する親が子どもに与える影響 → 3/4 デメリット篇 ── 育児を受ける子どもが親に与える影響