KUMOism

著作権の二面性 ── まとめ篇

すべて守るか、すべて緩めるか、ではない第 3 の道。フェアユース、クリエイティブコモンズ、そして機械学習が突きつける「著作権の主体は誰か」という問い。連載最終回。

背景篇メリット篇デメリット篇 と読み進めていただいた最終回です。最後に、両側のどちらにも振り切らない中間の道と、その先にある新しい論点をまとめます。

連載を通して見えてきたのは、制作にはどうしてもコピーの要素が必要であること、そして コピーの度合いが強くても、アイデアや文脈といった良くも悪くも曖昧な基準次第では認められる ということでした。

グレーゾーンを運用するための 2 つの仕組み

曖昧なグレーゾーンを社会として運用していくために、これまでに次のような仕組みが生まれています。

フェアユース

アメリカの著作権法 107 条によれば、著作権者の許諾なく著作物を利用しても、4 つの判断基準 のもとで公正な利用(フェアユース)に該当すると評価されれば、その利用行為は著作権の侵害にあたらないとされています。

1976 年著作権法では「批評、解説、ニュース報道、教授(教室での利用のための複数のコピー作成行為を含む)、研究、調査等を目的とする」場合のフェアユースを認めており、フェアユースかどうかの判断は 以下の 4 要素 を指針とします。

  1. 利用の目的と性格(営利性を有するか、非営利の教育目的か)
  2. 著作権のある著作物の 性質
  3. 著作物全体との関係における利用された 部分の量および重要性
  4. 著作物の 潜在的利用または価値に対する利用の及ぼす影響

出典: フェアユース(Wikipedia)

「全面禁止」でも「全面解放」でもなく、個別ケースを 4 要素で評価する ── これがアメリカ流のグレーゾーンの運用方法です。

クリエイティブコモンズ(CC)ライセンス

クリエイティブコモンズの 6 種類のライセンスアイコン(CC BY / BY-SA / BY-ND / BY-NC / BY-NC-SA / BY-NC-ND)

出典: クリエイティブコモンズライセンス

CC ライセンスとは、インターネット時代のための新しい著作権ルール です。作品を公開する作者が「この条件を守れば、私の作品を自由に使って構いません」という意思表示をするためのツールです。

CC ライセンスを利用することで、作者は 著作権を保持したまま 作品を自由に流通させることができ、受け手はライセンス条件の範囲内で再配布やリミックスを行うことができます。「全面禁止か、全面放棄か」という 0/100 ではなく、6 種類の段階 を作者が自分で選べる ── これが CC のグレーゾーン運用です。

機械学習と著作権 ── 「主体」の問いが揺れる

ここまでは、人間が作るコピー・人間が書く法律の話でした。しかし近年、機械学習という技術による作品 に著作権が存在するのか、という新しい論点が出てきています(人によっては機械学習を人工知能と呼びますが、否定する人もいます)。

機械にとっては、芸術は複数のパターン でしかありません。例えば、猫型ロボット以外のドラえもんを何パターンも作ったり、既存の男性の名前すべてを主人公に置いた何パターンもの恋愛小説を作ったりすることが、理論的には可能です。

さらに「感動するパターン」も機械のプログラムに入れてあげれば、全パターンの感動作品 を作ることができるかもしれません。

そこで、すべての作品が出来上がったとき、その著作権は誰にあるのでしょうか。その機械でしょうか、それとも機械を作った人でしょうか、それとも誰にも認められないのでしょうか。もし全ての作品に著作権が認められた瞬間、誰も何も新しく作れなくなってしまう という逆説が生じます。

機械にできて、機械にできないこと

とはいえ、機械学習はあくまで 既存のものから処理を行う ため、まだ存在しないものを 組み合わせや統計処理、論理学以外で作ること はできません。

また、文章はまだ生成できますが、画像や動画の組み合わせになると一気にパターンが増え、処理するためのメモリや部品素材の不足から、技術的に可能になるのは当分先になるとされます(連載執筆時点)。

機械と人間の大きな違いは、身体が存在し、矛盾や葛藤を受け入れられること にあります。常識や空気もパターンとして処理しようとすればできますが、人間はそれを 整合性のないまま抱えられる という独特の性質を持ちます。そこに人間が芸術性を見出していれば、機械が作品を量産する未来でも、人間の作品の価値は維持されるかもしれません。

個人の判断はシンプルになる

「著作権」に限って考えると、私たち一人ひとりが気にすべき点は、実はとてもシンプルです。

社会全体としては、この 3 つの立場の間で、税制・教育・流通プラットフォームの設計が決まっていきます。

最後の問い

コピーは、オリジナル制作者から奪っているのか。それとも、文化全体を豊かにしているのか。あなたはどちらの前提に立ちますか。そしてその前提が崩れたとき ── 例えば「あなた自身がオリジナル制作者になったとき」 ── 何を選び直しますか。

著作権をすべて守る/コピーをすべて解放する」の二択を急ぐ前に、まずこの二面性を行き来してみる ── そのこと自体が、kumoism がこの連載でやりたかったことです。


連載をはじめから:

→ 1/4 背景篇 → 2/4 メリット篇 ── コピーが作る文化の多様性 → 3/4 デメリット篇 ── コピーや二次創作はアイデア泥棒