KUMOism

多様性の二面性 ── まとめ篇

成立篇と不成立篇を行き来したあと、改めてどんな多様性が欲しいのか考え直す。コミュニケーションの量、人類生存の二経路、排外主義者を排除しない多様性、そして個人の内側の多様性へ。

背景篇成立篇不成立篇 と読み進めていただいた最終回です。最後に成立篇と不成立篇の中間と、その周辺の補足についてまとめます。

要は、どこまでコミュニケーションをとるか

成立篇と不成立篇で言いたかったことは、どれぐらい他人とコミュニケーションをとるか、ということです。

成立篇は自分よりも他人を大切にするためコミュニケーションに多大なる時間とお金をかけます。不成立篇は自分の自由を大切にするためコミュニケーションを一切行なわず、排除したいだけ排除します。

しかし人間、そんな極端なコミュニケーションはとりません。排外主義な人ですら、一部の人に差別はしてもその理論を同じように他の人に常に向けたりしませんし、普段とても他人に優しい人ですら、大切にしたい人をしっかり区別します。

現実の人は、成立と不成立のあいだに揺らいでいる ── これがまず素直な観察です。

人類生存はどちらのやり方でも達成できる

一見、差別をせずにコミュニケーションをとっていくほうが人類が生存しやすくなると思いがちです。発生する問題に対してみんなで解決策を模索し、みんなでアイデアをだし、みんなで解決のための行動をとれば、すべての問題を解決でき、環境問題が起きようとも多くの人類が生き残れる ── そう考えることができます。

しかしそれはそれで問題が存在します。それは 「多様性を維持しなければいけない」という単調・単純な考え方が生まれること です。多様性を大事にしていたら単調・単純になる、というジレンマがあります。

反対にコミュニケーションをとらずに差別することで人類が生き残ることもありえます。どういうことかと言うと、みんなが自由に生きれば千差万別の生き方が生まれ、どんな悪環境でもどれか一つの集団が生き残ります。

また、差別されても差別に対して対策を練り続けることで、より生物として強くなる側面もあるとされます。差別しあうことで競争が生まれ、自然と切磋琢磨している状態になったりもします。

つまり 多様性を尊重しても、排除し合っても、結果として人類が残る経路はそれぞれにある ── どちらが「正しい」かを決めにくい難しさは、ここにもあります。

排外主義者を排除しない多様性(思考実験)

この話はあくまでたとえの話で、推奨する話ではありません。思考実験としてお読みください。

例えばボクシングやラグビーでは人が死ぬ可能性が大いにあります。なのに殺人や差別にはなりません。スポーツマンシップという大義があります。戦争にもルールがあることはクラウゼヴィッツの戦争論にも書いてあります。

つまり お互いに同意していれば何してもいい ことが色んな場面で起きています。

例えば、「無人島に無法地帯をつくる」とします。そこには差別したい人や、人を支配したい人を 同意の下に 集めます。そうすることで排除したい多様性を残しつつ、一方で普通の社会では排除したい人たちがいないので、普通に生きていくことができます。

これは現実の制度設計として実行可能かと言われればもちろん無理ですが、「多様性を守ろうとすると排除したい人を排除してしまう」という自家撞着を可視化するための思考実験です。

親による子どもへの教育が社会を固定化させる

子どもは親から大きな影響を受けます。親を尊敬する人も、親を嫌う人も、その性格は良くも悪くも親による影響が大きいと考えられます。親からの直接的な教育だけではなく、教育しない(放置する)ことや虐待、そして親が作った家庭環境、親が手に入れた学校環境などもまた、子どもに大きな影響を与えます。

「人の性格は親による影響が大きく、自分で自分を変えることが難しい」とするのなら、100 年前から、1000 年前から、1 万年前から、社会は大きくは変わらないことになります。

確かに、農耕や工業化、情報化、民主化、自由化など社会は大きく変わってきた側面もあるでしょう。しかし、人の争いや恋愛はずっと前に作られた神話や物語と大して変わりがありません。その原因は人間が人間であるためでもありますが、人間に親が存在するため でもあります。

そのように考えると、多様性の種類はずっと前から一定 ですし、多様性を望みたくない人も一定数存在する ことが分かります。

子どもが教育される前に親から引き離し、ある一定の教育を受けさせれば悪い人間はもう生まれないかもしれません。しかし逆にそれは多様性から最も遠いところにあります。

二面性の意義

最後に、kumoism がこの連載 ── そしてサイト全体 ── で言いたい「二面性」を、4 つの言い方で並べておきます。

1. A の考え方があれば、B の考え方がある。

2. 何事にも良い面と悪い面がある。

3. A の考え方には良い面と悪い面、B の考え方には良い面と悪い面がある。

4. A の考え方があるのは B の考え方があるから。表裏一体で等価値。

つまり常に 矛盾や葛藤を許容する という考え方です。この考え方をもつと、個人の中には色んな考え方が共存し、個人の中に多様性 が生まれます。

個人の中に多様性が生まれたとき、その個人が作る人間関係は多様になるかもしれません。それが私の仮説です。

社会の多様性を語る前に、まず自分の中にどれだけの「もう一方の考え」を抱えていられるか。kumoism がこの連載でやりたかったのは、そのための行き来でした。


連載をはじめから:

→ 1/4 背景篇 → 2/4 成立篇 ── 受け入れる社会の論理 → 3/4 不成立篇 ── 6 つの理由