社会保障の二面性 ── デメリット篇
個人の人生は個人のもの。高齢者の家計赤字、ニート増加、年金カットの議論 ── 社会保障を縮める側の論理を、データと共に描く。
連載 3/4。2/4 メリット篇 の続きです。
「個人の人生は個人のもの ── 高齢者の生活水準を国が保証する義務はない」── この前提から見ると、社会保障費の目標額そのものを下げる という選択肢が出てきます。
簡単に言えば、社会保障費(高齢者の生活水準・寿命)の目標を下げ、若者は収入の高低に関わらず好きなことをする ── これが反対派の出発点です。仕事をしたい人は仕事をして、仕事をしたくない人はしない。そのぶん平均寿命は縮まる可能性が高いとされますが、それを受け入れた上での選択です。
高齢者の家計はすでに赤字 ── 何を意味するのか

出典: 家計調査年報 (家計収支編) 平成 25 年 (2013 年) 家計の概況
高齢者世帯の家計は、現状でも 収入だけでは生活費をまかなえず赤字 とされます。差額は貯蓄の取り崩しと、税金から流れてくる社会保障で埋められています。
反対派から見れば、これは「国の保障水準を引き下げてもよい余地 がもともと大きい」というサインに映ります。すべての高齢者に同じ水準の年金・医療を保証するのではなく、自助・互助で支えられる部分は本人と家族に戻していく ── そういう発想です。
反対派が提案する具体策
社会保障を縮めるとは、具体的には次のような方向です。
- 政府が負担する医療費を下げる: 高齢者により多く自己負担してもらう
- 年金の受給額を下げる: 受給期間を短くする
- 定年後の生活費を下げる: 必要最小限のセーフティネットに絞る
- 将来の推計平均寿命を下げる: 寿命の目標そのものを下げる
最後の「寿命の目標を下げる」は冷たく聞こえますが、反対派の論理を最後まで辿るとここに行き着きます。長生きを国が支える義務を外す以上、平均寿命がどこに落ち着くかは個々人の選択と資産に委ねるしかない、という発想です。
若者の自由 ── 「稼ぐ義務」が消えると何が起きるか

出典: 「ニート」数推移をグラフ化してみる (2014 年)
若者が今よりも好きなことができるようになると、「お金をたくさん稼ぐ」ことが義務でなくなります。収入は最低限で十分になり、その結果として例えば次のようなことが起きます。
- ニートが増える: 働かなくても最低限の収入で生きていけるなら問題ない、という選択になる
- 非正規社員・起業・非営利活動が増える: 高収入である必要がない働き方が普通になる
- 自殺する人への社会的関心が薄れる: 労働者が減っても社会全体が困らない構造になる
反対派にとって、ニートや非正規の増加は「解決すべき社会問題」ではなく、「自由の代償として受け入れる事象」になります。社会保障を支えるための労働ではない労働 ── それを目指す立場です。
反対派の倫理 ── 「個人の人生」の意味
賛成派は「世代をまたいだ支え合い」を倫理的な前提にしますが、反対派はそこに別の問いを置きます。
誰かが長生きするために、誰かが望まない労働を強いられる構造は、本当に「支え合い」なのか。
社会保障の財源は、最終的には誰かの労働から来ます。働きたくない人を働かせる施策 ── ニート支援、女性活躍、移民受け入れ ── は、見方を変えれば「国家のために働く義務」を広げる施策でもあります。
「個人の人生は個人のもの」と言い切る反対派にとって、この義務の広がりこそが手放したい不自由です。長生きという目標を国に預けるのをやめれば、若者は自分の時間を取り戻せる ── そう考えます。
反対派のまとめ
「個人の人生は個人のもの」という前提に立つなら、社会保障費の目標額そのものを下げるという選択は筋が通ります。
- 高齢者の家計はすでに赤字であり、保障水準を引き下げる余地は大きい
- 医療・年金・定年後支援を絞り、自助と互助に戻していく
- 寿命の目標を国が背負わず、個人の選択と資産に委ねる
- 若者は「稼ぐ義務」から解放され、好きな仕事や働かない選択ができる
- ニートや非正規の増加は問題ではなく、自由の代償として受け入れる
ただし、この道は 長生きできる人とそうでない人の差 を肯定することを意味します。家族・地域・本人の貯蓄に余裕がある人と、そうでない人の老後は、はっきり別物になります。
賛成派と反対派、それぞれが見ている世界はまったく違います。しかし、その どちらも捨てない道 はあり得るのでしょうか。そして、その選択を最終的に決めているのは誰なのでしょうか。
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