第1章「これは強盗か?」── 保険と銃 ── アメリカの二面性
テキサス州サンアントニオ。警察署のデスクで電話を受けた俺。隣のテレビでは民間保険のCMが流れていた。20年勤め上げた俺の、もっとも長い午後の始まり。
プロローグ
俺は、テキサス州サンアントニオ市警の警察官だ。名前はジェイク・ヘンダーソン、45 歳。市警に入って 20 年になる。
南テキサスの太陽は、10 月でもまだ強い。朝のパトロールから戻ってきて、署のロッカーに制服のジャケットをかけると、もう背中はうっすら汗ばんでいる。コーヒーマシンの前で、若い同僚が「今日も暑くなりそうですね」と肩をすくめた。俺は **「いつも通りだ」**と笑って、自分のマグカップに濃いブラックを注いだ。
俺の腰には、いつものように 拳銃がある。家を出るときから、家に帰ってロッカーに入れるまで、それが俺の右半身の一部だ。重さも、形も、もう体の一部としか感じない。
** 「自分の身は、自分で守る」**
俺はそういう町で生まれた。父はトラック運転手で、母は看護助手だった。家には常に 猟銃があり、5 歳の頃からその扱い方を父に教わってきた。「銃は道具だ。怖いのは、銃じゃなくて、銃を持つ人間の頭の中身だ」── これは父の口癖だった。
20 年前、俺は警察学校を卒業した。配属されたサンアントニオ署では、新人の最初の 1 年で、すでに 3 件の強盗事件と、2 件の発砲事件を経験した。同期の一人は、最初の年に、当て逃げ犯を追跡中に逆に撃たれて殉職した。彼の名は、署のロビーの真鍮プレートに、今でも刻まれている。
俺が銃を信じるのは、銃が好きだからじゃない。銃を信じなければ、自分も家族も守れない町だからだ。それは、テキサスのこの一角に生きる、ほとんどすべての人間が共有している前提だと思う。
今日も、いつもと同じ朝が始まる。
そう思っていた。
第1章「これは強盗か?」
午後 1 時 30 分。署の自分のデスクに座って、午前中の事件報告書をまとめていた。
ガラス窓越しに、サンアントニオの街並みが見える。レンガ造りの低い建物、ベージュ色の石畳、ヤシの木の影。観光客が時々、River Walk を目指して地図を片手に通り過ぎていく。南テキサスの典型的な、平和な午後だった。
デスクの脇には、小さな旧式のテレビが置いてあって、誰かが点けっぱなしにしていた。音量は低めに絞られていたが、ちょうど 民間保険のコマーシャルが流れていた。
「あなたとあなたのご家族の未来を、Mettlife が守ります」 青いブランケットを抱えた子どもの映像が、画面いっぱいに広がる。母親が安心したように微笑む。「自分で選ぶ、自分のための保険」。ナレーションが、低い声でそう繰り返した。
俺は、無意識にそのコマーシャルを見ていた。
うちにも、Mettlife の保険があった。月々の保険料は決して安くはない。妻と高校生の息子と娘、4 人ぶんで、ボーナス月以外は家計のかなりの部分を圧迫する。けれども、俺は自分で選んだプランで、自分の家族を守りたかった。他人の都合で決められた保険には、入りたくなかった。
「政府にうちの家族の医療を任せるくらいなら、自分で稼いで自分で払う」── 妻のローラは、いつも俺のこの言葉を笑いながら聞き流す。 「あなた、頑固ね」 「頑固じゃない。これがテキサス流だ」 俺たちの間ではこれが、長年の定型句になっている。
そのとき、デスクの上の電話が鳴った。
俺は受話器を取った。 「サンアントニオ署、ヘンダーソンです」 「ヘンダーソン、緊急だ。ダウンタウンの銀行で発砲事件。容疑者は屋上に逃げた。応援を頼む」 ディスパッチャーの声は、いつもより硬かった。俺は受話器を握りしめ、姿勢を正した。 「人質は?」 「不明。発砲は屋上から市道に向けて、1 発。負傷者は 1 名、軽傷。容疑者は屋上から動いていない可能性が高い」 「了解、5 分で行く」
俺は受話器を置き、椅子を引いた。デスクの脇のホルスターに 拳銃があるのを確認する。マガジンに 17 発、薬室に 1 発。予備マガジンも 2 本、ベルトに。
立ち上がる前に、テレビ画面に視線を戻した。コマーシャルはまだ流れていた。 「Mettlife。あなたが選ぶ、あなたの保険」
俺は息を吐いた。
── 今日、もしものことがあっても、家族は守られる。プランには、業務中の傷害も含まれている。月々の保険料を払い続けてきた俺の判断が、もしものとき、家族を路頭に迷わせないはずだ。
俺は **「自分で払い、自分で守る」**ことを選び続けてきた。だからこそ、こうして家を出るたびに、安心して銃を持てる。**安心して死ねるからこそ、安心して生きられる。**それが、俺が選んだ生き方だ。
ロッカー脇の同僚に「行ってくる」と声をかけ、俺は無線機を確認しながら、駐車場へ歩き出した。
太陽はまだ高い。
俺の腰の 拳銃が、いつも通り、右半身に静かに馴染んでいた。
→ もう一方の物語: 第1章「アルバイトで暮らす日々」
連載目次: