第3章「逮捕する」── 保険と銃 ── アメリカの二面性
屋上で銃声が2発、ほぼ同時に響いた。腕から血を流しながら、俺は容疑者に手錠をかける。「逮捕する」── その一言を絞り出すために、20年の現場経験のすべてが必要だった。
第2章「銃と金を出せ」の続きです。
第3章「逮捕する」
銃声が、2 発、ほぼ同時に響いた。
最初の一発は、彼の銃口から。二発目は、俺の銃口から。
屋上のコンクリートに、空薬莢が小さく弾けて転がる音。耳の奥が、一瞬、無音になる。次の瞬間、左腕の付け根に、焼けるような熱が走った。
「ヘンダーソン!」 背後で、リチャーズの叫び声が聞こえた。
俺は、ふらつきながらも、銃を構え直した。視界の端で、容疑者が崩れ落ちるのが見えた。彼の右肩あたりから、暗い色のシミが、パーカーに広がっていく。撃ったのは、俺だ。右肩を狙った。命までは奪わない、けれども確実に銃を取り落とさせる位置。
20 年の現場経験が、引き金を引く位置を、俺の指に教えていた。
容疑者の 9 ミリが、コンクリートの上に音を立てて落ちた。俺は、その銃を蹴って、彼の手の届かない位置まで遠ざける。それから、自分の左腕の傷を、ちらりと確認した。貫通している。出血は多いが、動脈は外れている。命に別状はない。けれど、長くは持たない。
「リチャーズ、救急車を急いでくれ」 俺は無線機に向かって、低い声で言った。声が、思っていたより落ち着いていたことに、自分でも少し驚いた。
リチャーズが、ほかの同僚と一緒に、屋上のドアから走り出てくる。彼らが容疑者を取り囲み、応急処置を始める。容疑者の意識は、まだあった。彼は、こちらを見上げて、何かを言おうとした。けれど、声が出ていなかった。
俺は、ふらつく足で、彼のそばまで歩いた。膝をつき、彼の顔を覗き込む。
夕日が傾き、屋上を 濃いオレンジ色に染めていた。彼のフードが脱げ、若い、まだあどけなさの残る顔が、夕日に照らされていた。
「動くな。動くと、傷が広がる」 俺は、自分の右手を、彼の傷口に押し当てた。出血を抑えるためだ。 「救急車が来る。お前は死なない。母親も、お前が死んだら、もっと困る」
容疑者は、何度か瞬きをし、ようやく小さく頷いた。涙が、彼の頬を流れていた。
「逮捕する」 俺は、できるだけ平坦な、職務上の声でそう言った。 「銀行強盗、警備員への発砲、警察官への発砲。罪状は、これから読み上げる」
彼の両手首に、リチャーズが手錠をかけた。チャリ、という金属の音が、屋上の静寂に響いた。
俺は、深く息を吸った。
── 仕事は、果たした。
容疑者は、生きている。俺も、生きている。仲間も、無事だ。これが、最良の結末だ。20 年警察をやってきて、俺はその「最良」のかたちを、何度も練習してきた。相手を生かして、自分も生きて、罪は法廷で裁かせる。それが、銃を持つ俺の、もっとも難しい、もっとも誇りに思う仕事だった。
── 撃たなければよかった、とは思わない。撃たなければ、俺が死んでいた。あるいは、容疑者がもっと長くこの屋上で動き回り、別の市民を傷つけていたかもしれない。俺の銃は、俺の命と、ほかの誰かの命を、同時に守った。
俺は、腕の傷をもう一度確認した。コンクリートの床に、自分の血が、小さく丸い円を描き始めていた。視界が、少し白く霞んでいく。
「ヘンダーソン、もう座れ」 リチャーズが、俺の肩を支えた。 「救急隊が、もうすぐ来る。お前は、もう動かなくていい」
俺は、屋上の縁の手すりに背を預け、ずるずると座り込んだ。サンアントニオの夕日が、ダウンタウンのビル群の向こうに沈もうとしていた。
20 年、この街の路地を歩いてきた。
その路地が、今、俺の血で少しだけ汚れた。けれども、俺は誇りに思っていた。今日の俺の判断は、間違っていなかった、と。
ふと、屋上の風が、少しぬるく感じられた。
俺は、腰のホルスターに、銃をしまった。任務は、終わった。
無線機から、救急車のサイレンの音が、遠くに聞こえ始めていた。
→ もう一方の物語: 第1章「アルバイトで暮らす日々」
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